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自己紹介

はじめまして!

このブログにお越しくださりありがとうございます。
ユミと申します。

本日は初回投稿なので自己紹介をさせていただきます!

簡単な情報から!

自己紹介
名前:ユミ
年齢:23歳(1999年6月生まれ)
出身:愛知県
住まい:東京
職業:派遣社員(事務)

生まれ

超大企業に共働きをしている両親のもとに生まれた私。

一人っ子だったこともあり、幼少期から習い事は英語、ピアノ、音楽理論、声楽、水泳、テニス等々…いわゆる英才教育を受けて育ち、やりたいこと、挑戦したいことは基本的に応援してくれる家庭でした。

明るくまじめで嘘が苦手、先生や友達からの信頼も厚い模範的な子供でした。

小中高時代

小学生時代、6か月検診の際に乳製品、卵、そば、山芋のアレルギーが発覚し、以降除去生活を続けている関係で給食の半分が食べられなかったので、祖母が代替食を作って届けてくれる毎日でした。

みんなと違うものを食べていることに疎外感を感じていたところ、小学三年生の時の担任の先生に中学受験を勧められました。

「給食のない学校に行きたい。」のと中学受験のために通っていた塾が楽しく、毎日必死に勉強し、第一志望校である私立の中高一貫の女子校に晴れて合格

 

部活は、オーケストラ部に入り、打楽器に挑戦!もともと音楽系の習い事を多くしていたので、同期や先輩を抜かして難しい曲の担当に大抜擢されることもありました。

給食のない生活、きれいな校舎、楽しい部活動と順風満帆なスクールライフでした。

 

人と群れるのが嫌いで責任感と正義感のある性格だった私の当時の夢は弁護士。

大学に関して親には「マーチ以上でないと東京の大学には行かせない。行く意味がない。」と言われていました。

小学生のころから漠然と「自分は東京の大学に進学するんだ」と思っていたので必死に勉強をしていました。

進路変更

しかし思うように成績は伸びず、どうしてもストレートで進学したいのに、やってもやっても上がらない偏差値。

次第に自分は本当に弁護士になりたいのかわからなくなってしまい、法学部進学以外で東京にいける理由を探すようになりました。

 

ついに勉強に対するモチベーションがなくなってしまい、東京の大学に行かせてもらえるもっともらしい理由を見つけます。

「音楽大学に行きたい。そのために日本でカルチャーが一番集まるのは東京なので東京に行かせてください」

高校三年生の5月。自分が努力するということから逃げた瞬間でした。

後にこの選択が何年も自分を悩ませるようになるとは知らずに…

 

声楽とピアノは幼少期からずっと頑張っていたので、私にとって残り約半年で音楽大学に合格することは偏差値を10上げる事よりもうんと容易なことでした。

大学時代

晴れて都内の私立名門音楽大学に声楽専攻として入学。

 

初めての自炊、初めてのひとり暮らし、慣れない土地、毎日の厳しい声楽のお稽古などから入学早々1か月で体重が6キロ落ちてしまいましたが、一週間実家に帰ったことで回復。

その後は人生初めての彼氏もできたことにより東京での生活に慣れることができました。

 

3か月で失恋し、そこから半年間は振られた悔しさから勉強もせずずっとダイエットとファッションの研究に明け暮れました。

努力が実を結び、半年後次の彼氏ができてから依存するようになり、最低限の勉強と遊ぶお金のためにアルバイトだけして後は彼氏に時間を割いていました。

アルバイトはデパートの中のヴィーガンレストランのホールを2年間しました。

進路選択

私の大学は3割が留学や院などに進学、次の3割が教職、2割がフリーター、1割が就職という内訳になっていました。

周りに就職をしている人が全くいないような環境だったので早め早めに動こうと、大学2年の冬から進路について考え始めました。
学年で声楽専攻は80名ほどいる中で私の成績は中の中。この現実を目の当たりにし、音楽家として生きることをあっさり諦めました。
親や親戚から、職業に困る事のないように教員免許だけは必ず取りなさいと言われその通りにしていたものの、教育実習先の先生からパワハラを受けて精神的に追い込まれてしまった経験もあり教師も選択したくない。

残すは就職。幼い頃食物アレルギーがあったことにより悩んだ経験から、「就職するなら食物アレルギーを持つ子が生きやすい世の中の風潮を作れる仕事がしたい」というざっくりとした希望を持っていました。
自我が強く協調性も少ない私は親のように大手企業で我慢して下積みを続けるのが嫌で、努力次第で昇進していけるような中小企業やベンチャー企業を中心に就活を進めていました。夢がふわっとしていることから就活は難航したものの大学4年生の11月にプラントベースフードの開発から販売、広告を行うスタートアップ企業から内定をもらうことができました。

1社目

大学卒業前に3か月店舗でのインターンシップを終え本社の営業企画の部署に配属されるはずが入社直前で上司が変わり、そのままあと一か月店舗にて経験を積むことに。
毎日目まぐるしく状況が変化していくスタートアップ+新卒を入れるのが初めてだったため、上司や先輩も探り探りで気が付けば6月も中旬に。
「私カフェの店員がやりたくてこの会社に入ったんじゃない。」
毎日この気持ちを抱えながら8時出勤23時退社を続けていました。

そんなある日、
「6月後半から店長してもらうことになったから。」
こう上司に告げられ、研修先とは別の店舗の店長に急になることに。
慣れない業務に社会人3か月目にしては重過ぎる責任。
毎日上司からのお叱りの電話で6時半に起床し休憩もなく16時頃に作業しながらご飯をかきこむ。終電で帰り帰宅後も眠い目をこすりながら3時まで仕事。

そんなことを毎日続けているうちに体調はどんどん悪化。
社用携帯がiPhoneだったことからiPhoneの着信音が街で聞こえるだけでビクッとしてしまう。他にも冷や汗、頭痛、動悸、吐き気、下痢等々続き、ついには胃潰瘍になってしまいました。

SNSを見るとエスカレーターで行ける付属の大学や、勉強を頑張って名門大学に入学していた中高時代の友人は大手企業に勤め、キラキラ生活を送っている。
「こんなはずじゃなかったのに。」悔しさ、焦り、虚無感。
「あの時逃げずに頑張って法学部に入っていればこんなことにはならなかったのではないか。」済んでしまったことを悔やむのは仕方ないとわかっていつつも毎日ぎりぎりの体力でやり過ごす当時はそんなことしか考えられませんでした。

そんな時、ちょうど中高時代の部活の先輩の結婚式に呼んでいただき、久しぶりに先輩方と再会することになります。あんなに陽気だった私がげっそりと変わり果てた姿になってしまっていることに先輩方は心配してくださいました。お話を聞いてくださり、その時本格的に自分の働き方が普通じゃない(いわゆるブラック)ことに気が付きました。

「楽になりたい。もう限界。」上司に働き方を改善してもらえないか直談判しました。
社会人としての常識などなく何もわからない新卒の身としては、先輩や上司の「わかってて当たり前」が通じないのでもっと教育してほしい。休みの日にも仕事をしなければいけないのはおかしい。そもそも店舗勤務のつもりで入社していない。
現状の会社では厳しそうだったのでやめる決意をしました。
そして2022年10月末で退職。

転職活動

在職中は転職活動をする暇もないほど忙しかったので転職エージェントを使いながら次を探していました。
たまたま休みの日に大学時代のバイト先にお茶をしに行き店長と再会。近況を聞かれたので話したら「うちにおいでよ」とのこと。
正直レストランスタッフになる気はさらさらなかったので断ろうかなと思ったものの、若い人の意見を取り入れてSNSもやっていきたいとのことだったのと、親が「せっかく誘ってくれているんだから」と強く進めていたので1週間は考えたものの、退職の1週間後からそこで働き始めることに。

2社目

業務内容はホールスタッフ及び店長補佐、お店のインスタグラムの運用でした。

入社して3日目でアルバイトの方から「社員さんは1銭も残業代が出ないらしい。」と聞く。契約書にはしっかり所定外労働時間については法廷の通り支払うと書いてあったのでにわかには信じがたかったし、毎日3時間の残業が基本シフトだったので「もし本当に支払われないとなったらまずいよな…」と思いながらしばらく様子を見守ることに。

そんな時入社2週間で店長が飲酒で酔って肋骨を骨折、副店長は長期で国に帰るという大ハプニングが起こり、唯一の社員である私はいきなり責任者に。
右も左もわからない中、放置の上司達。必死に毎日を過ごしました。
その後もまだシフトの時間は終わっていないのに仕事を残したまま部下の私達より早く帰る店長。アルバイトのスタッフさんと喧嘩して拗ねて部屋に何時間も立てこもる先輩。

この職場で学べるものはないと思い、とあるインフルエンサーさんの開催しているオンラインサロンに入会し、働きながら社会人としての知識を付けることに。

給与明細が店長の気まぐれでしか渡されないため残業代をもらえているのかどうかわからない月が続き、やっともらえた年明け。
入社後3日目に聞かされた通り、本当に残業代は入っていませんでした。

すぐに人事に直談判するも、私でなく社長に聞いてくれと取り合ってくれず、社長に話しても「残業代は払わないと入社前に言った」(私は聞いた覚えがない)の一点張りで、さらに実は私は正社員の契約ではなく6カ月の契約社員だったことが発覚。それに関しても更新の期限を守っておらず、言及したら「忘れてた。期限通りにやったことがない。」とすべてが無茶苦茶だったので、将来性を感じず4月末での退職を決意。

そして今

中高時代の友人と比較して更にキャリアの差ができてしまっていよいよ本当に焦りました。しかしもう会社というものに対する信用が無くなってしまったので下手にも動きたくない。

更には、自分のやりたいことを否定せずお金を出してくれた親のような経済力をこのままの自分ではもてないため、子供を生むことをあきらめざるを得ない。
そもそも不景気の日本で死ぬまでこの国にい続けられるのかも疑問。

悩んでいるタイミングで、オンラインサロンのWebマーケティングの講師をなさっている方がお弟子を育成するスクールを開講するという情報を聞きつけました。

Webマーケティングであればいつでもでもどこでも仕事ができて、将来性もあり大きく稼げる可能性のある職業なので
「今の私にはもうこれしか残されていない。これが最後のチャンスだ。」
そう思い、即座に自分の生れてから一度も手を付けた事のなかったお年玉貯金を使い、一括でお支払い。

勉強時間を確保したいけど生活のためにお金を稼がないといけないので、平日フルタイムで派遣事務として6月から働くことにします!

新卒1年目で2社辞めた社会不適合者のもう何も失うものがない私が、この一年間でWebマーケティングを使って会社という組織に頼ることなく月に30万円を稼ぐようになるまでの成長期、ノウハウをこちらのブログに書いていこうと思います。

私のように会社員としての働き方が向いていないと感じている方、後先考えず退職してしまって路頭に迷っている方、会社に不満はあるもののやめる勇気が出ない方、そんな方たちにこそ読んでいただきたいです。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました!
これからよろしくお願いいたします!